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まったり 気ままに すきなことを

考察しだすと語りが止まらなくなる癖はいつまでも変わらない

ゲームやアニメを見ながら考察するのが大好きだ。あまり、表立ってネットに書いたりはしないが、自分の中であれこれ考えて楽しむのが好きだ。

 

昨日はたまたま、夫が「このゲームのこのシーンはさ、、、」「この用語って?」「原作だとこうだったよね??」と言ったような話になった時、「あのシーンではこのセリフがあって、こうなってたけど。。。」と真夜中に小一時間くらい語っていた。

 

我ながら25年以上前のゲームをよく覚えているなと思いつつ、語りだすと止まらない状態になった。あまり人とこう言った会話はしないのだけれど、珍しく考察を語ってしまった。

 

まだ、そのゲームは途中の段階なので、今後の続編開発次第でどう物語が傾いていくかは未知数ではあるが、きっとマルチエンディングになるのか、はたまた夢落ちで終わるのか、原作通りに進んでしまうのか。

 

昨今の救いのない物語のような後味の悪いエンディングにだけは向かってほしくないなと切実に願ってはいるけれども、どうなることやら。

 

 

考察自体が好きなのは遡ること、1995年。新世紀エヴァンゲリオンをリアルタイムで見ていた頃だ。謎が謎を呼び、アニメの最後は主人公の笑顔で終わるのだけれど、謎は回収されぬまま、「解体新書」なる本がサブカルコーナーに溢れていたので、それらを読み漁って、一人で黙々と物語を読み解いていこうとしていた。

 

大人になった現在から思い返せば、小学生で解体新書を読んでいた自分は、側から見たら”ませた子供”だったと思う。ただ、知らないことに対して、貪欲に知識を欲していたし、元々、神話が好きだったので、どっぷりとその世界観にハマっていったのも確かだ。(なお、劇場版は旧劇場版のみ鑑賞済みで、新劇場版は未鑑賞。。。)

 

読み手に物語の解釈を委ねられるような作品が好きだし、あれこれ複雑な用語と世界観が絡み合っているものが好きだ。あれこれ自由に考えて、自分の中で物語を紐解いて完結していくような。最終的に映画監督やプロデューサー、シナリオライターなどのインタビューを読んだり、ドキュメンタリーを見て、答え合わせをしていくのも好きだ。(語られないことがほとんどではあるが)

 

こう言った思考の癖は、小学生の頃から大人になった今でも変わらない。好きなものは好きだし、大人になったからといって飽きるものでもない。精神年齢が上がらないのも影響しているのかもしれないけれど、「あれこれ考えるのはなんて楽しいんだ」と一人で浸っている。

 

昔と違って今は他の方の考察を読んだりすることも容易にできるし、「そんな発想があったか!」とハッとさせられることもあるし、「うんうん、わかる」と深く頷くこともある。

 

多分、今私の考察が捗っている作品の完結作が出るのはきっと4年後くらいになってしまうだろう。楽しみでもあり、完結してしまう寂しさもあり、絶対に夢オチにだけはしないでくれ!と言う強い希望もありつつ、発売されるまで一人考察を楽しもうと思う。